长滨忠夫 Tadao Nagahama

联合创作 · 2023-10-13 21:11

鹿児島県出身のアニメ・人形劇の監督・演出家・脚本家・作詞家。 中学生時代から演劇部で活動し、鹿児島放送劇団に所属して演出を担当する。日本大学芸術学部演劇学科に進学し、舞台芸術学院、キリン座、青年俳優クラブ、劇団民藝(宇野重吉に師事)で演劇を学びながら、演劇雑誌『テアトロ』編集部でアルバイトをする。人形劇団ひとみ座の演出部に所属していたとき、NHKのテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』、TBSテレビの人形劇『伊賀の影丸』の演出を担当する。『ひょっこりひょうたん島』の経験はのちにギャグアニメの仕事をするとき役立った、と長浜は述べている。なお、後に妻となる三井淳子もひとみ座に所属していた。 また、ひとみ座の同期で『伊賀の影丸』の製作者でもある藤岡豊は、のちにアニメ制作会社東京ムービーを設立しており、このことが長浜のアニメ演出家への転身に繋がった。 東京ムービーのアニメ制作を担当していたAプロダクションへ入社し、『巨人の星』で一世を風靡したほか、コメディからロボットものまで幅広い作品を手がけた。『侍ジャイアンツ』を最後に1975年に同社を退社、アニメ業界に見切りをつけ、日本記録映像社を設立し、1年ほどCM製作などを行なった。『勇者ライディーン』でアニメ界に復帰し、サンライズとの関係を築く。続く『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『超電磁マシーン ボルテスV』、『闘将ダイモス』は「長浜ロマンロボシリーズ」と呼ばれ、『巨人の星』と並ぶ代表作となっている。特に『超電磁マシーンボルテスV』は海外でも放送され、映画化も検討されたが結局実現に至らなかった。『未来ロボ ダルタニアス』を途中降板し、『ベルサイユのばら』で古巣の東京ムービーに復帰するも、演出の方針の対立が原因で途中降板した。フランスとの合作作品『宇宙伝説ユリシーズ31』の製作中に劇症肝炎の発症により急逝(後年、妻もこれに罹るが一命を取り留めている)、これが遺作となった。

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