唐代女性詩人研究序説
【自序より】(抜粋)
古く中国においては『女論語』に「歌詞を縦にする莫れ、他の淫語を恐るればなり」と女性が詩歌に親しむことを禁ずるような教えがあった。また、政治の担い手であった士大夫層が文学の担い手であったことから、例えば前漢の班女妻妤のような宮廷の一部の女性と、南朝宋の鮑照の妹の鮑令暉のような文人の妹や娘等を例外として、女性が公然と詩を詠むことはなかった。ところが世界に冠たる大唐帝国と称されるほどに繁栄を極めた唐代になると女性達の活躍が目覚ましくなり、女性詩人も多く輩出した。その唐代における女性詩人とは、初唐から盛唐期までは、前代までと同様に皇后や妃嬪等の宮廷の女性と著名な文人の妹や娘等の名媛と称された女性達であったが、安史の乱を経た中晩唐期には、妓女や女道士の詩人が出現して多くの詩を遺している。本書では、そのなかでも残存詩が比較的多く事跡も明らか...
【自序より】(抜粋)
古く中国においては『女論語』に「歌詞を縦にする莫れ、他の淫語を恐るればなり」と女性が詩歌に親しむことを禁ずるような教えがあった。また、政治の担い手であった士大夫層が文学の担い手であったことから、例えば前漢の班女妻妤のような宮廷の一部の女性と、南朝宋の鮑照の妹の鮑令暉のような文人の妹や娘等を例外として、女性が公然と詩を詠むことはなかった。ところが世界に冠たる大唐帝国と称されるほどに繁栄を極めた唐代になると女性達の活躍が目覚ましくなり、女性詩人も多く輩出した。その唐代における女性詩人とは、初唐から盛唐期までは、前代までと同様に皇后や妃嬪等の宮廷の女性と著名な文人の妹や娘等の名媛と称された女性達であったが、安史の乱を経た中晩唐期には、妓女や女道士の詩人が出現して多くの詩を遺している。本書では、そのなかでも残存詩が比較的多く事跡も明らかな、上官昭容(婉兒)、李冶、薛濤、及び魚玄機の四人の女性詩人の詩と詩作について論述している。
本書は次のような二編から成っている。
第一編 唐代女性詩人の詩と文学
第二編 日本における薛濤詩の受容
第一編の「唐代女性詩人の詩と文学」では、女性詩人達はいつから、何を契機に詩を詠み始めたのか。詩作をどのようにして習得したのか。詩には女性としての固有の表現や主張がみられるのか。彼女達が詩を詠むことによって遺した足跡は何であったのか。このような点について、彼女達が詠出している詩と詩作から考察することによって、唐代女性詩人の詩の文学的な意義について論述している。
第二編の「日本における薛濤詩の受容」は、日本側に視点を置いての論考である。四人の唐代女性詩人のうち日本人にも比較的馴染みが深い薛濤の詩は、いつ日本に伝来して、日本人によってどのように読まれて、どのように愛好されたのか、日本における薛濤の詩の受容の様相について論述している。日本の南画家・小田海僊作の「薛濤図」(一八四六年製作)にある八十文字の添書きは如何なる文献に拠って書き付けられたのかについての考察から始め、次に、薛濤の別集と総集が日本に伝来した時期を『舶載書目』等に拠って考証している。そして、江戸時代後期から明治、大正、昭和にかけて日本人によって薛濤の詩が様々な形で受容された様相を追うと共に、薛濤の詩が日本人に愛好された要因について論証している。