清岡純子写真集 Best Selection!
PT42が発禁になった1987年の1年後に修正入りでスリットの見えない「天使のひみつ」が
出版されかなり売れたようですが、それから4年後の1992年に清岡純子写真集が発行されました。
これは当初は天使のひみつのように1冊出す企画だったものですが、天使のひみつの売れ行きが
良かったせいなのか、この企画も「1冊出すだけでは惜しい」ということで2冊に分けた企画に変更
されたそうです。
監修はアリスクラブに関わっていた渡羅氏です。
某誌のカメラマンでも渡羅氏が清岡モデルの中から9名が厳選されていますので、お買い得感のある1冊。
巻末には藤本義一氏の清岡先生の思い出を語る2ページの文や、清岡先生がお亡くなりになるまでの
活動歴が一覧表になり収録されたり、聖少女・白薔薇園・プチトマト・豪華本などの全表紙が収録されており
資料性も高い1冊になりました。
「清岡純子...
PT42が発禁になった1987年の1年後に修正入りでスリットの見えない「天使のひみつ」が
出版されかなり売れたようですが、それから4年後の1992年に清岡純子写真集が発行されました。
これは当初は天使のひみつのように1冊出す企画だったものですが、天使のひみつの売れ行きが
良かったせいなのか、この企画も「1冊出すだけでは惜しい」ということで2冊に分けた企画に変更
されたそうです。
監修はアリスクラブに関わっていた渡羅氏です。
某誌のカメラマンでも渡羅氏が清岡モデルの中から9名が厳選されていますので、お買い得感のある1冊。
巻末には藤本義一氏の清岡先生の思い出を語る2ページの文や、清岡先生がお亡くなりになるまでの
活動歴が一覧表になり収録されたり、聖少女・白薔薇園・プチトマト・豪華本などの全表紙が収録されており
資料性も高い1冊になりました。
「清岡純子写真集」の名に恥じない内容と言えるでしょう。
商品パッケージの寸法: 29.7 x 21 x 1 cm
清岡純子プロフィール
元貴族院子爵・清岡長言の三女として京都に生まれる。新日本新聞社、キネマ画報社写真部、新歌舞伎座写真部を経て、その後京都に移り、フリーカメラマンとなる。
写真集『尼寺』(毎日新聞社)出版。西ドイツ、シュテルン主催の「世界写真展」で受賞。小説『日蓮女優』(日本文華社)で日本作家クラブ賞受賞。ポーランドの国際芸術写真協会主催「ビーナス’ 74展」で日本人として初受賞。杉村春子『歩みの後』人形写真(講談社)を出版する。