清華の三巨頭
一九〇八年、アメリカは義和団賠償金のうち約一二〇〇万ドルを中国側に払い戻し、留美学生の派遣、その予備校としての清華学校の設立(一九一一)など、文化事業の資金にあてて好評を博した。『清華大学史料選編』第一巻所載の「歴史留美学生分科統計表」によれば、中国の青年がアメリカ留学によって最新の知識を学ぼうとした分野は、哲学、文学、社会科学、法学、自然科学、商学、工程学、農業、医学、軍事学、というように、きわめて多岐にわたっている。一九二五年、清華学校は研究院を創立するに当たって、まず国学部門を開設し、著名な教師を招聘して学問の発展、人材の育成に努めることを目指した。「国学研究院」の誕生である。そこに招かれた教職員のうち、教授は王国維、梁啓超、趙元任、陳寅恪の四名であり、彼らが指導する学科の範囲は、「清華周刊」第三五一期に載せるところによれば、以下の通りである。...
一九〇八年、アメリカは義和団賠償金のうち約一二〇〇万ドルを中国側に払い戻し、留美学生の派遣、その予備校としての清華学校の設立(一九一一)など、文化事業の資金にあてて好評を博した。『清華大学史料選編』第一巻所載の「歴史留美学生分科統計表」によれば、中国の青年がアメリカ留学によって最新の知識を学ぼうとした分野は、哲学、文学、社会科学、法学、自然科学、商学、工程学、農業、医学、軍事学、というように、きわめて多岐にわたっている。一九二五年、清華学校は研究院を創立するに当たって、まず国学部門を開設し、著名な教師を招聘して学問の発展、人材の育成に努めることを目指した。「国学研究院」の誕生である。そこに招かれた教職員のうち、教授は王国維、梁啓超、趙元任、陳寅恪の四名であり、彼らが指導する学科の範囲は、「清華周刊」第三五一期に載せるところによれば、以下の通りである。
王国維(経学、小学、上古史、中国文学)、梁啓超(諸子、中国仏学史、宋元明学術史、清代学術史、中国文学)、趙元任(現代方言学、中国音韻学、普通話言学)、陳寅恪(年暦学、周辺諸民族に関係する古代碑志の研究、マニ教経典のウイグル語訳文の研究、仏教経典の各種文字訳本の比較研究、歴史に関係する蒙古満州書籍及び碑志の研究)
それぞれの講義題目は、王国維が「古史新証」と「説文演習」、梁啓超が「中国通史」、趙元任が「方音学」と「普通語言学」であった(陳寅恪は未定)。二十世紀の中国学の発展に大きく貢献し、今なお高く評価されている四人のうち、王国維、趙元任、陳寅恪の業績を紹介しつつ、その偉大さの本質に迫ってみたい。(本書「はじめに」より)