清末のキリスト教と国際関係
本書は、前著『義和団の起源とその運動―中国民衆ナショナリズムの誕生』(研文出版、一九九九年)を上梓した後、ここ十年ぐらいの間に書いた清末のキリスト教や義和団をめぐる問題についての文章をまとめたものである。
本書の主張の一つは、中国近現代史を一貫する反「西洋の衝撃(ウエスタンインパクト)」の伝統的な民族・国家主義思想が存在し、その精神は反キリスト教に典型的に表れ、太平天国から義和団へと通底する「ねじれた連続性」を示しているのだということである。曾国藩・周漢のように太平天国を中国のキリスト教化の運動と見、反太平天国は反キリスト教・反西洋=伝統的聖教防衛だとするなら(そしてそれが恐らく正しい)、それを受けた後年の反キリスト教(仇教)闘争の拡大、そのピークとしての義和団の排外国反キリスト教の国家民族防衛(扶清滅洋)という連続性が見える。この過程は反外国反キリ...
本書は、前著『義和団の起源とその運動―中国民衆ナショナリズムの誕生』(研文出版、一九九九年)を上梓した後、ここ十年ぐらいの間に書いた清末のキリスト教や義和団をめぐる問題についての文章をまとめたものである。
本書の主張の一つは、中国近現代史を一貫する反「西洋の衝撃(ウエスタンインパクト)」の伝統的な民族・国家主義思想が存在し、その精神は反キリスト教に典型的に表れ、太平天国から義和団へと通底する「ねじれた連続性」を示しているのだということである。曾国藩・周漢のように太平天国を中国のキリスト教化の運動と見、反太平天国は反キリスト教・反西洋=伝統的聖教防衛だとするなら(そしてそれが恐らく正しい)、それを受けた後年の反キリスト教(仇教)闘争の拡大、そのピークとしての義和団の排外国反キリスト教の国家民族防衛(扶清滅洋)という連続性が見える。この過程は反外国反キリスト教の「民族」精神の展開過程とも言える。「義和団の乱」とは、それで軍事侵攻を正当化した「西洋」諸国と、責任回避を正当化した権力者の都合の言い方で、「義和団」が「太平天国」 と「乱」(人民闘争)で繋がるなどと言うのも虚偽だ。この精神は、辛亥革命と民国の開明化、「打倒孔家店」の啓蒙主義・マルクス主義を経ても、反キリスト教・反文化侵略・反帝国民革命の啓蒙と救亡の二重奏の中で復活し、四九年の革命、文化大革命において間歇泉的に噴出した。この反外国反キリスト教「民族」精神は、現在のキリスト教の急激な拡大に直面して、かつて反革命封建主義「会道門」として徹底弾圧した「一貫道」を公認してさえその拡大化を阻止したいとする共産党の姿勢に顕在化する。「典礼問題」は今なお未解決なのだ。とするならば、太平天国を共産党「農民・土地」革命の先駆としたり、義和団の排外主義を「農民階級の歴史的限界性を持った民族革命思想」などという通説とは異なった歴史像になる。しかし、この方が歴史をより説明可能にするように思う。