世界秩序の変容と東アジア
【序言より】
二〇〇五年に刊行した『中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝』と題する拙著の終章に「魏晋南朝の世界秩序と北朝隋唐の世界秩序」という項をたて、
南北朝時代は最終的に北朝最後の王朝である隋による中国再統一へと帰結してゆく。このことを南朝の側から見 るとき、それは南朝を中心とした世界システムの崩壊を意味していたといえるであろう。(中略)
また、……私は古代日本における歴史展開をその中華意識の形成という観点から考察したが、その軌跡を五胡・北朝・隋唐に至る中国史の展開と比較するとき、秦漢魏晋的秩序から見ると、同じく夷狄であったものが、それぞれに「中華」となるという点で(「東夷としての倭から中華としての日本へ」と「五胡から中華への変身」)、両者は相似た軌跡を描いたのである。そしてこの軌跡の類似は、今まで述べてきたことを踏まえると、決して偶然に生じた類似ではな...
【序言より】
二〇〇五年に刊行した『中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝』と題する拙著の終章に「魏晋南朝の世界秩序と北朝隋唐の世界秩序」という項をたて、
南北朝時代は最終的に北朝最後の王朝である隋による中国再統一へと帰結してゆく。このことを南朝の側から見 るとき、それは南朝を中心とした世界システムの崩壊を意味していたといえるであろう。(中略)
また、……私は古代日本における歴史展開をその中華意識の形成という観点から考察したが、その軌跡を五胡・北朝・隋唐に至る中国史の展開と比較するとき、秦漢魏晋的秩序から見ると、同じく夷狄であったものが、それぞれに「中華」となるという点で(「東夷としての倭から中華としての日本へ」と「五胡から中華への変身」)、両者は相似た軌跡を描いたのである。そしてこの軌跡の類似は、今まで述べてきたことを踏まえると、決して偶然に生じた類似ではないといえるのである。すなわち、五胡・北朝・隋唐と古代日本は、秦漢帝国を母胎として、その冊封を受けるという形で魏晋南朝的システムの中から成長し、それを突き崩しつつ出現した、という面で共通した側面をもつ国家群であったといえるのである。
と述べたことがある。
ここで述べた世界秩序、世界システムの定義はウィットフォーゲルによるものであり、本書に即して記すならば、南朝が構築しようとした政治的・国際的秩序、北朝が構築しようとした政治的・国際的秩序、隋あるいは唐が構築しようとした政治的・国際的秩序のことである。その際、本書では、中国が企図した世界内における諸民族、諸国、政治集団がその秩序に率先して参加したのか、強制的に参加せしめられたのかといった点などはまた別個の問題であり、ここではあくまで南朝なり北朝なりが自己を中心として構築しようとした秩序について考察する。(その詳細については本書第一章、第二章にゆずる。)本書はこうした意味での世界秩序の変容という観点から、先の谷川氏の考えに見える「東アジア世界史」の構築を目指す試みの一つとして、漢唐間の歴史変容の問題について考究しようとするものである。