中国古典学のかたち
私は大学院入学よりこのかた、変わらず漢代、中でも後漢の学術・思想を主要な研究課題としてきた。・・・漢代の学術・思想研究の大方は文献考証に明け暮れするので、その作業の中でいつしか文献考証における「勘」のごときものも幾ばくかは体得し、幸運にも、そのいくつかについて発表する場も与えていただいた。本書の前半は、そうした中国古典学一般に関わる書き物を編んだものである。いま「体得した勘」と大仰なことを言ったが、実はそんな大したことではなく、また独創的なものでもない。一昔前の先学なら、みな身に具えておられたことがらばかりである。ただ、古典学が衰滅の危機に瀕している現在、少しは古典学の存続に役立つかもしれぬとの思いから、刊行に踏み切ることとした。
本書の後半には、・・・京都大学中国哲学史研究室の先達の業績について記した論考を集めた。・・・私には京都大学における中国哲...
私は大学院入学よりこのかた、変わらず漢代、中でも後漢の学術・思想を主要な研究課題としてきた。・・・漢代の学術・思想研究の大方は文献考証に明け暮れするので、その作業の中でいつしか文献考証における「勘」のごときものも幾ばくかは体得し、幸運にも、そのいくつかについて発表する場も与えていただいた。本書の前半は、そうした中国古典学一般に関わる書き物を編んだものである。いま「体得した勘」と大仰なことを言ったが、実はそんな大したことではなく、また独創的なものでもない。一昔前の先学なら、みな身に具えておられたことがらばかりである。ただ、古典学が衰滅の危機に瀕している現在、少しは古典学の存続に役立つかもしれぬとの思いから、刊行に踏み切ることとした。
本書の後半には、・・・京都大学中国哲学史研究室の先達の業績について記した論考を集めた。・・・私には京都大学における中国哲学史研究の根幹は文献考証学にありとの思いがやはり強くあり、したがって私個人の内面では、前半と後半は一体不可分であり、一部の書物としてまとまっていると、秘かに自負している。
書名を『中国古典学のかたち』としたのは、私にとって「古典学」とは文献考証学にほかならないからであり、また「かたち」の語には、古典学においてはまず何よりも体例が重要であるとの鄙見と、その「かたち」を通じて古典学の内実に興味を持っていただければとのささやかな希望も託している。(本書「あとがき」より)
1948年大阪市生まれ。京都大学名誉教授