奥村智代 Chiyo Okumura
山口県の出身の母親[1]に千葉県野田市で生まれ、3歳から大阪府池田市で育つ[1]。夙川学院高等学校在学中に知人が応募したオーディションに合格し、1回限りで小野薬品のドリンク剤「リキ・ホルモ」のCMソング「昨日、今日、明日」を歌い好評を得て、卒業後の1965年に東芝レコードから「あなたがいなくても / 私を愛して」でデビューする。和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出され、蠱惑的な魅力と甘えた雰囲気の歌唱で耳目を集める。 黛ジュン、小川知子と「東芝3人娘」と称し、「ごめんネ…ジロー」(1965年)、「北国の青い空」(1967年)などをヒットさせる。 1969年 - 1970年に発表して51万枚[2]を販売した「恋の奴隷」を初めに「恋狂い」と「恋泥棒」の「恋3部作」が広く高評を得て、人気歌手の地位を確立する。コケティッシュな雰囲気がいっそう官能的になり初めてNHK紅白歌合戦に出演するが、「恋の奴隷」の歌詞の一部がNHKの内部規則に抵触することを回避するために「恋泥棒」を歌った。 1971年12月25日に発売の、自身のイメージを脱却した「終着駅」も販売枚数が40万枚[2]と好評を得た。本人の歌手引退も辞さない強い希望から実現した曲で、作曲した浜圭介も作曲家として返り咲いた。1971年に発売した「川の流れのように」は、後年に美空ひばりが歌った楽曲と同名異曲である。 1974年に浜と結婚し、芸能界の第一線を退く。 1980年にビクターから、「せめてさよならは…」をリリースして歌手活動を再開。ディナーショーなどステージを中心に、マイペースな活動を続ける。1993年に、折からの1960年代ブームに乗って「恋の奴隷」が再ヒットする。個性的な歌唱スタイルと時代を先取るファッションで話題になり、若い世代のファンを多く獲得した。現在も歌手活動を続けており、東芝EMIから『GOLDEN☆BEST 奥村チヨ』などの新譜や旧作が発売されている。 2008年3月7日にフジテレビで放送された「売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生」によると、代表曲「恋の奴隷」が男性に従属的な歌詞であったため、奥村自身は歌うことをためらっていたという。さらに同曲のイメージから、当時は自宅周辺にまで付きまとうファンが多く出現したことから悩まされていたという。 2016年11月には、12年ぶりとなる新曲「Be With You -あなたに逢えた-」をリリース。新曲発売を記念し、2017年1月には浅草・音のヨーロー堂にて、自身初のインストア・ライヴも行った[3]。 2018年1月6日、2018年いっぱいで芸能活動から引退することが発表され、12月31日で引退した[4]。