中国古典学の再構築
本書は、二松学舎大学東アジア学術総合研究所・共同研究プログラムに採択された『中国古典学の再構築』の成果報告書である。本研究プロジェクトは二〇一七年度から二〇一九年度までの三年間にわたるもので、各年度ごとに一度二松学舎大学で学術シンポジウムを開催し、それぞれ異なるテーマを設定して研究成果を公開してきたが、本書を構成する諸論攷は原則的にその際の口頭発表を論文に纏めて頂くように依頼したものである。(伊藤論文は書下し)。
本共同研究『中国古典学の再構築』を構想した問題意識は、端的に(あるいは聊か大仰に)いえば「中国古典学」研究の現状に対する危機感、及び最新の研究手法への期待、という相反する現状認識、学問の「古」と「未来」をより良い方法で「再構築」することを目指そう、というものである。学問の諸分野に於いて危機感を持ってしばしば指摘される現代の「古典」研究に対す...
本書は、二松学舎大学東アジア学術総合研究所・共同研究プログラムに採択された『中国古典学の再構築』の成果報告書である。本研究プロジェクトは二〇一七年度から二〇一九年度までの三年間にわたるもので、各年度ごとに一度二松学舎大学で学術シンポジウムを開催し、それぞれ異なるテーマを設定して研究成果を公開してきたが、本書を構成する諸論攷は原則的にその際の口頭発表を論文に纏めて頂くように依頼したものである。(伊藤論文は書下し)。
本共同研究『中国古典学の再構築』を構想した問題意識は、端的に(あるいは聊か大仰に)いえば「中国古典学」研究の現状に対する危機感、及び最新の研究手法への期待、という相反する現状認識、学問の「古」と「未来」をより良い方法で「再構築」することを目指そう、というものである。学問の諸分野に於いて危機感を持ってしばしば指摘される現代の「古典」研究に対する冷遇と、より実学的で明確な功利性に即した学術への移行の傾向は、現実に基礎研究の世界に対する軽視の普遍化と結びついているように思われる。「古典」は、常に既に新たな可能性を包含しているからこそ「古典」となりえたのであり、「古典」の内に「新たな可能性」を見出せないのは果たして諸「古典」の問題なのであろうか。……初年度はシンポジウム「『春秋左氏伝』と現代の中国学」を開催した(具体的なプログラムは巻末の「シンポジウムの記録」を参照)。二年目のシンポジウムでは、近年注目を集め始めている志怪小説集『夷堅志』の著者である南宋の士大夫・洪邁をテーマに取り上げた。……最終年は、古典学の総括としてふさわしいテーマに『孟子』を選んだ。……それぞれのシンポジウムの成果は、本書の各論攷をご覧いただき、中国古典学研究の新たな息吹を感じていただければ幸いである。(代表 田中正樹)