唐代沙陀突厥史の研究
【序文より(抜粋)】
本書はテュルク系遊牧民である沙陀突厥と、唐王朝(李氏:618─907)との関係を軸にして、唐初以来の羈縻州のあり方や沙陀集団を構成した遊牧系諸部落、ソグド人との関係、残された編纂史料の偏りなどに着目しつつ、五代の諸王朝を成立させるに至る沙陀突厥の興起を、東部ユーラシア史の中に位置づけようとする試みである。
沙陀突厥は、唐王朝末期に龐勛の乱(868─869)と黄巣の乱(874─884)という唐王朝にとって致命的な大動乱を鎮圧する大功をあげたことによって、唐末の一大政治勢力となり、ついには五代時期の後唐(李氏:923─936)・後晋(石氏:936─946)・後漢(劉氏:947─950)・後周(郭氏・柴氏:951─960)を成立させたものとして著名である。本書は、この沙陀突厥の歴史を、唐王朝の前半期から極末期まで、約300年間にわたっ...
【序文より(抜粋)】
本書はテュルク系遊牧民である沙陀突厥と、唐王朝(李氏:618─907)との関係を軸にして、唐初以来の羈縻州のあり方や沙陀集団を構成した遊牧系諸部落、ソグド人との関係、残された編纂史料の偏りなどに着目しつつ、五代の諸王朝を成立させるに至る沙陀突厥の興起を、東部ユーラシア史の中に位置づけようとする試みである。
沙陀突厥は、唐王朝末期に龐勛の乱(868─869)と黄巣の乱(874─884)という唐王朝にとって致命的な大動乱を鎮圧する大功をあげたことによって、唐末の一大政治勢力となり、ついには五代時期の後唐(李氏:923─936)・後晋(石氏:936─946)・後漢(劉氏:947─950)・後周(郭氏・柴氏:951─960)を成立させたものとして著名である。本書は、この沙陀突厥の歴史を、唐王朝の前半期から極末期まで、約300年間にわたって跡づける。ただし、唐初にはそれほど重点を置かず、安史の乱後の唐後半期に大きな重点を置きながら論じる。
本書では、唐代において、農業遊牧境域地帯の果たした役割に配慮しつつ、その地域で成長し、唐王朝を受け継ぐ存在となっていった沙陀突厥の歴史を概観し、以下五つの問題を設定する。
(1)唐王朝と沙陀突厥とは、どのような関係を取り結んだのか。
(2)沙陀突厥あるいは「沙陀集団」は、どのように構成され、沙陀と唐初以来の羈縻州とはどのような関係にあったのか。また、沙陀突厥と唐王朝の財政とは、どのような関係にあったのか。
(3)沙陀突厥に関する史料に混乱がみられるのはなぜか。
(4)安史の乱の頃に中国に存在した非漢族と唐末の沙陀突厥はどのような関係にあるのか、
(5)沙陀突厥に関する考古遺物・史料の状況はどうなっているのか、である。このような疑問に答えることを目的として、本書では二部に分けてそれぞれの問題を論じる。