応仁の乱
室町幕府はなぜ自壊したのか―室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七~七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか―。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。
呉座 勇一(ござ ゆういち、1980年 - )は、日本史学者。国際日本文化研究センター助教。東京都生まれ。海城高等学校、2003年東京大学文学部国史学科卒業。2008年同大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。2011年「日本中世の地域社会における集団統合原理の研究 領主の一揆を中心として」で文学博士。東京大学人文社会系研究科研究員を経て、2016年10月より現職。『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』で第12回角川財団学芸賞受賞。
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