仏教の正統と異端
仏教の歴史を一文にまとめよと言われたら、どう答えるだろうか? まずは高校「世界史」の教科書を開いてみよう――インドに生まれた仏教は、大乗仏教と上座部仏教に分かれ、前者はインドから東アジアや内陸アジアに広まり、後者は東南アジアに広まった。この説明は正しいだろうか?
じつは、「大乗仏教」(Mahāyāna Buddhism) も、「上座部仏教」(Theravāda Buddhism) も、近代に創られた概念である (本書第9章で論じた)。「大乗」あるいは「上座部」という仏典にあった語と、近代に宗教の呼称として生まれた「仏教」(Buddhism) という語を結びつけた熟語であって、伝統的に存在した概念ではない。この近代製の対概念から離れて、仏教の歴史を捉え直すこと。それを試みたのが本書である。
仏教の歴史的理解には、仏教文献を調査するだけでなく、政治・...
仏教の歴史を一文にまとめよと言われたら、どう答えるだろうか? まずは高校「世界史」の教科書を開いてみよう――インドに生まれた仏教は、大乗仏教と上座部仏教に分かれ、前者はインドから東アジアや内陸アジアに広まり、後者は東南アジアに広まった。この説明は正しいだろうか?
じつは、「大乗仏教」(Mahāyāna Buddhism) も、「上座部仏教」(Theravāda Buddhism) も、近代に創られた概念である (本書第9章で論じた)。「大乗」あるいは「上座部」という仏典にあった語と、近代に宗教の呼称として生まれた「仏教」(Buddhism) という語を結びつけた熟語であって、伝統的に存在した概念ではない。この近代製の対概念から離れて、仏教の歴史を捉え直すこと。それを試みたのが本書である。
仏教の歴史的理解には、仏教文献を調査するだけでなく、政治・経済・言語の状況のなかに仏教を位置づけることが不可欠である。そこで本書では、南アジアと東南アジアの言語転換に焦点を当てることによって仏教史を論じ直している。扱う範囲は、おもに1世紀から20世紀の南アジアと東南アジアである。
ちょうどヨーロッパでラテン語、東アジアで漢語が知識人の共有する普遍語の役割を果たしたように、南アジアと東南アジアでは、4世紀から13世紀にサンスクリット語が政治言語となった――この国際空間を、インド学者シェルドン・ポロックは「サンスクリット・コスモポリス」と呼ぶ。サンスクリット語は古代インドの言語であり、もともとバラモン教の聖典や儀礼に用いられる言語だった。南アジアと東南アジアを統一した帝国があったわけでもなく、一方が他方に朝貢したわけでもなく、両地域の諸王権がほぼ同時期にサンスクリット語を用い始めたのである。もともと俗語で伝承されていた大乗経典のような仏典も、サンスクリット・コスモポリスにおいてサンスクリット語に写し変えられていった。
ところが、一三世紀から一四世紀に東南アジア大陸部の政治勢力は一変し、新たに成立した各地の王権はスリランカからパーリ語――これも古代インドの言語の一つ――を聖なる言語とする仏教を再導入した。その結果、各地の王権により支援された出家教団が伝承するパーリ語の仏典群が、スリランカと東南アジア大陸部で共有されるようになった。このような国際空間を、本書は「パーリ・コスモポリス」と呼ぶ。
ベンガル湾を介した交易圏にあるスリランカと東南アジア大陸部で、パーリ・コスモポリスが成立したことは、世界史的な事件だった。なぜなら、この交易圏を支配したオランダとイギリスから、今日、世界を覆っている資本主義が生まれたからである。
それでは、サンスクリット・コスモポリスに代わって、どのようにパーリ・コスモポリスが成立したのか。この問題にご関心のある方は、それを詳しく論じた本書を手に取っていただければ幸いである。