『漢書』の新研究
【序章より】
筆者は、『漢書』とは以下の諸點を證明するために著された、「頌『後漢』の書」 であると考える。
第一:前漢王朝が、上代の聖帝・堯の後裔であるとともに、「漢」王朝の「受命の君」とされる高祖劉邦(以下、基本的に高祖と記す)によって建國された王朝であること。
第二:しかしながら前漢王朝は、「亡國の君」ともいうべき成帝の言行や施政によって外戚王氏が臺頭し、その筆頭者である王莽の簒奪によって不可避かつ必然的に「滅亡」した王朝であったこと。
第三:同時に、王莽と彼の「新」王朝も閏位の帝王と王朝にすぎなかったこと。
第四―一:そのような前漢王朝と、王莽と「新」王朝のあとを承けて「再受命」によって登場し成立したと考えられた世祖光武帝劉秀(以下、基本的に世祖と記す)と後漢王朝こそ、「眞」に神聖なる帝王と王朝であること。
第四―二:換言すれば『漢書』とは、前...
【序章より】
筆者は、『漢書』とは以下の諸點を證明するために著された、「頌『後漢』の書」 であると考える。
第一:前漢王朝が、上代の聖帝・堯の後裔であるとともに、「漢」王朝の「受命の君」とされる高祖劉邦(以下、基本的に高祖と記す)によって建國された王朝であること。
第二:しかしながら前漢王朝は、「亡國の君」ともいうべき成帝の言行や施政によって外戚王氏が臺頭し、その筆頭者である王莽の簒奪によって不可避かつ必然的に「滅亡」した王朝であったこと。
第三:同時に、王莽と彼の「新」王朝も閏位の帝王と王朝にすぎなかったこと。
第四―一:そのような前漢王朝と、王莽と「新」王朝のあとを承けて「再受命」によって登場し成立したと考えられた世祖光武帝劉秀(以下、基本的に世祖と記す)と後漢王朝こそ、「眞」に神聖なる帝王と王朝であること。
第四―二:換言すれば『漢書』とは、前漢と、王莽と彼の「新」王朝、それぞれの「滅亡」の不可避性や必然性を論證することによって、眞の聖帝であり神聖王朝である世祖と後漢王朝が「再受命」して登場し成立するための、「必須の前提條件」を提供することを重要な著述目的とした著作であった。
そのような『漢書』理解の正しさを證明するために、本書では、その前半部分にあたる第一部『漢書』篇においては、『漢書』の「高帝紀」から「王莽傳」に至る帝紀や列傳の記述を詳細に検討する。
そのうえで、後半部分にあたる第二部董仲舒篇においては、現在でも聚訟の府の觀を呈している、 [『漢書』に示された董仲舒像]の實態を檢討し、第一に、それが、「『儒教の官學化』を實現した大儒」としてではなく、「三段階的災異説」と筆者が命名した災異思想を提唱した「『春秋』災異學者」として理解するべきものであること、第二には、そのような董仲舒が提唱したとされる「三段階的災異説」が、第一部における檢討から抽出された[『漢書』像]、さらに嚴密に言えば[『漢書』の「構造」]を成立させるとともに、それを支えるという、きわめて重要な役割を果たしていることを論じる。