大乗起信論成立問題の研究

联合创作 · 2023-10-09 06:34

『大乗起信論』は、6世紀前半、南北朝時代末期の中国に漢文のかたちで現れた仏典である。南朝の摂論宗の祖である来中インド人・真諦(499-569)の漢訳に帰され、在印インド人・馬鳴の撰述と称される。南北朝時代統一後の隋の法経『衆経目録』(594)においては真諦訳が疑われ、百済の慧均『大乗四論玄義記』(7世紀初頭)においては北朝の地論宗による偽論であると伝えられたが、唐以降、成立問題はほとんど等閑に付されてきた。成立問題の議論が本格化するのは、近代日本において、望月信亨(1869-1948)が同論の内容に疑念をいだき、中国撰述説を提起してからである(1918年以降)。現代日本においては、インド撰述説と中国撰述説との折衷案として、インド人が中国において撰述したという来中インド人撰述説も提起されている。

本書は、近年いちじるしく進展した、漢文大蔵経の電子化と、...

『大乗起信論』は、6世紀前半、南北朝時代末期の中国に漢文のかたちで現れた仏典である。南朝の摂論宗の祖である来中インド人・真諦(499-569)の漢訳に帰され、在印インド人・馬鳴の撰述と称される。南北朝時代統一後の隋の法経『衆経目録』(594)においては真諦訳が疑われ、百済の慧均『大乗四論玄義記』(7世紀初頭)においては北朝の地論宗による偽論であると伝えられたが、唐以降、成立問題はほとんど等閑に付されてきた。成立問題の議論が本格化するのは、近代日本において、望月信亨(1869-1948)が同論の内容に疑念をいだき、中国撰述説を提起してからである(1918年以降)。現代日本においては、インド撰述説と中国撰述説との折衷案として、インド人が中国において撰述したという来中インド人撰述説も提起されている。

本書は、近年いちじるしく進展した、漢文大蔵経の電子化と、敦煌出土北朝仏教文献の翻刻出版との二大成果を活用しつつ、同論が漢文仏教文献からの一種のパッチワークであることを明らかにし、来中インド人撰述説を斥け、北朝人撰述説を確定する。

第1部は資料編である。

第1章においては、複数の敦煌写本を用いて同論の本文を校訂し、その古形を明らかにする。

第2章においては、校訂された本文と北朝現在の漢文仏教文献とを現代日本語訳とともに対照し、同論が北朝現在のさまざまな漢文仏教文献を素材としていること、少なくともそれと並行していることを明らかにする。

これらによって、読者は同論が漢文仏教文献からの一種のパッチワークであることを了解しうるに違いない。

第2部は研究編である。

第1章においては、同論の素材となっている北朝現在のさまざまな漢文仏教文献──偽経、偽論、外国人講義録を含む──を整理する。従来、同論のうちに偽経(『仁王般若波羅蜜経』)や外国人講義録(『金剛仙論』)が用いられていることはごくわずかに示唆されてきたにせよ、あまり具体的に例が挙げられなかったため、大きな問題となることはなかった。本章においては、そのような偽経、偽論、外国人講義録についても具体的に例を挙げ、それによって来中インド人撰述説を斥け、北朝人撰述説を提示する。

第2章においては、同論のうちに含まれている北朝仏教説──同論成立以前の北魏洛陽期に遡る──を整理する。従来、同論のうちに北朝仏教説が含まれていることはまったく指摘されてこなかった。本章においては、敦煌出土北朝仏教文献を用いて具体的に例を挙げ、それによって来中インド人撰述説を斥け、北朝人撰述説を補強する。

第3章においては、同論のうちに含まれているさまざまな奇説──インド仏教に対する誤解──を整理する。従来、同論のうちにインド仏教に対する誤解が含まれていることはほとんど指摘されてこなかった。漢字文化圏においては、長い間、インド仏教の概論として同論が学ばれてきたため、漢字文化圏の仏教徒は仏教学者を含め、無意識のうちに同論をインド仏教の標準と見なしがちであり、同論とインド仏教とのズレに気づきにくかった。本章においては、同論とインド仏教とのズレについて具体的に例を挙げ、それによって来中インド人撰述説を斥け、北朝人撰述説をさらに補強する。

第4章においては、同論がいつ北朝に成立し、いつ馬鳴に仮託され、いつ南朝に流伝し、いつ真諦に仮託されたのかを、現在利用できる限りの資料によって解明する。

『大乗起信論』出現以来、同論の成立問題は千五百年に亙る謎であった。本書によって、今、その成立問題についに終止符が打たれる。

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